お好きな家庭教師 中学受験
私は十九年間学校に学び、十五年間学校教育にたずさわり、また十数年間家庭教育の実際についてのご相談にあずかる機会を得ました。
多くの学友を持ち、多くの子どもを扱い、多くのご家庭を知ることができました。
この長い経験を振り返って「よい子ども」というと、円満で角がなくのびのびと育っている子ども、どこかしっかりして見どころのある子ども、どこという特色はないがなんとなく人を魅きつける子ども一芸一能に秀でて他人が追いつけない子ども、上品で人なつっこい情緒豊かな子ども。
こうした子どもたちを見ると、家庭によいところがあり、両親の教育に必ずそれだけのものがあるのです。
両親以外に、子どもの生活に深い感化を与える人物がいる場合もあります。
この場合でも、たいてい両親がその人(子どものよい子本となっている人)に深く尊敬の心を持っているとか、信頼をささげているなど、もとの間に交流する精神の流れがあるのです。
なかでも最も重要なのは、両親が子どもの教育について深い関心を持っていることいつも注意をかたむけているということです。
この熱心さが、子どもを立派に伸ばします。
家の仕事や、専門の研究、事業などにあまり凝りすぎて、子どもをおろそかにする人(案外多いのですが)の家には、えてして取り返しのつかない不良になってしまい、あるいは不健康な子どもが出てきます。
親の仕事が大切なことはいうまでもありませんが、子どものことだけは、何はさておいても十分に気をつけていただきたい。
親の義務ではなく、親のやむにやまれぬ愛情の発露であるはずです。
そうでない方は、愛の泉が掴れたのです。子どもを放りっぱなしにしても何も感じないという人は、決して純情な人ではありません。
こういう人は、その事業も研究も正当ではないと思います。私はずいぶん多くの学者の先生方に学びましたが、偉い先生であればあるほど、純情に満ちみちていました。
お子さんたちの教育は言うに及ばず、弟子たちに対する愛情も至純至高というべきものでした。
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こうしてみると、両親の子どもに対する心の向け方は、まっすぐで清く混じり気がなく、広く豊かでなければならない。もともと親の愛情なのですが、何かにとらわれてその愛情がゆがんだり、混ざりものがあって濁っていたりすると、出がわるくなってカサカサに掴れたりします。
このような時は、その両親も落ち着いていられないもの。イライラしたやるせない気持ちのはずです。
どうすることもできずにいるのです。
けれども、たとえどんなに心が曲がっていても、そんな親ほど、底に純情な泉である美しい愛をたたえているのです。
